麒麟がくる 44

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感慨無量な最終回でした!!!


いつかこーゆー本能寺の変を見ることが出来るのではと期待していて、麒麟がくるではこーゆー本能寺の変になるのではとないかときっと私は予感していたから、最初から最後まで1話も逃さず見ることが出来たのかもしれません。キャッチした予感を信じて間違いなかった!本当に面白い大河ドラマでした!


18時からのBSP、20時からの総合、今日土曜日の再放送も見ちゃった。


お芝居も脚本も衣装も音楽もセットも光の演出も…すべてに魂が宿っていたような、ひとつひとつが丁寧に扱われている、心にぐっとくる大河ドラマでした。
麒麟がくるを見てきたこの1年と数ヵ月はとても幸せでありました。


私は10年くらい前に司馬遼太郎の「夏草の賦」を読んで、明智光秀本能寺の変のイメージが変わりました。
そこから漠然と思い描いていた明智光秀が、この麒麟がくるでそのまま映像となって現れた、そんな感じだったので不思議な不思議な気持ちで見続けました。


そして物語の節々で「やっぱりそうだったんだね!」と言いたくなるような、嬉しい気持ちにもなりました!長谷川さんでよかったよねー!


麒麟がくるを見て織田信長のイメージが変わりました。そして全てに納得できたというか、彼に対しては「なるほどそうだったんだね!」という気持ちで見ていました。染谷くんで良かったよねー!


あの時代を生きた彼らが本当はどんな人たちだったのか、なんてことは今を生きる私たちはどうやっても知ることができないけれど、私たちがこうやって色々と思いを巡らせることであの時代を生きた全ての人たちが報われるといいなぁなんて思ったりします。時空を越えて何か伝わるものがあるんじゃないかなと思っています。


明智光秀の物語であり、織田信長の物語でもあった麒麟がくる。「二人の不思議な友情物語」と脚本の池端さんが仰っていたけれど、まさにその通りでした。


明智光秀=天海和尚説が好きなので、山崎の戦いのシーンが無かったこともラストシーンにも納得です。私も十兵衛が死ぬところを見たくはなかった。
織田信長は本能寺で死んでいなくてバチカンに行った説も好きです。


オリジナルキャラクターに対する意見というのが色々とあったけれど、私は彼らが好きでした。
いつの世も、薬屋(駒さん)や、医者(東庵先生)や、芸能界(いろは太夫)の人たちは、世の中を動かしている中枢の人たちと深く関わっている…と言うことを暗示しているのでは?なんて私の陰謀脳が言っています🤩
忍者なのにぷくぷくした体型の菊丸も、オリジナルキャラクターみんな良かったと私は思っています!だって、ドラマですから。そんなに熱くならなくても、と。


でも、不満が出るのも分からなくはない。
私たち一人一人のなかに、それぞれの織田信長なり本能寺の変なり戦国時代なりのイメージがあるんだなぁと実感しました。“これは許せない!” “こうであってほしい!”みたいなラインが一人一人のなかにあるのも理解は出来る。
特に織田信長本能寺の変というのは日本史の中でも特に誰もが大なり小なりのイメージを持っているであろうトピックなんだろうね。


具体的な感想を言うのは止めておこうと思います。書き始めたら止まらないから。画面を通して役者さんの全身全霊のエネルギーみたいなものを感じたし、本当に全てが素晴らしかった。全てに納得がいった。登場人物たちみんなに大好きだよってありがとうって言いたい!そんな素敵な物語に出会えて幸せだなぁと思います。
でもひとつ。

「さっきの宴でのことは気にするな。家康がどう出るか見たかったんだ。ところで~(重要な話)」って、あのレベルで怒鳴り散らしておきながら気にするなとかってさらりと言ってのける信長!!!!!こんな上司嫌だメンタル持たないわ🤣🤣🤣🤣🤣


ロウバイと青い空。総集編も楽しみ!